吉野 2012年 桜巡り




4月18日、中千本(なかせんぼん)桜が満開の頃、お花見巡りをしてきました。
下千本(しもせんぼん)から、一番上の奥千本(おくせんぼん)まで、標高差500m麓から順に咲き上がっていく約200種3万本、それぞれの開花過程を愉しみつつの超豪華なお花見。
それはそれは見事でした。
なら散策オリジナルmap

点線

17:35 → 近鉄吉野駅到着。ロープウェイに乗り吉野山駅へ。
28:00 → 一目千本」で有名な吉水神社
38:30 → 竹林院(ちくりんいん)バス停」バス乗車。※春期、バスはここから発車。
48:50 → 奥千本口バス停」到着。金峯(きんぶ)神社参拝、義経隠れ塔西行庵を巡る。
510:00 → 青根ヶ峰 (道に迷ってじゃっかん山中さまよう。)
610:50 → 吉野水分(よしのみくまり)神社
711:10 → 花矢倉展望台
812:00 → 五郎平園地(ここでお弁当タイム♪)
912:40 → 中千本はじめ上と下、全部を見渡せる、お花見三昧エリア。
1012:50 → 如意輪寺(にょいりんじ) 宝物館見学のあとお抹茶で一休み。
1114:30 → 舗装された静かな裏道。(このエリア、車椅子の方でも大丈夫そう。)
1214:40 → 近鉄吉野駅到着。帰路につく。





今年は、桜の開花が遅かった分、奥千本はゴールデンウィーク頃まで楽しめるかも?との噂です。
26日すべて葉桜になったとのお知らせ有り。

吉野観光関連リンク
吉野町 桜開花情報
近鉄てくてくまっぷ(奈良-32) 吉野山回遊「上・中・下千本」コース 約9km
吉野山観光協会
交通規制の期間・内容、ケーブルカー・ロープウェイ・臨時バスの時刻表
吉野山交通・環境対策協議会 平成24年度 奈良県吉野山観光駐車場利用のご案内
吉野山・金峯山寺特別展拝観券付割引きっぷ
吉野路ウィークデー4(歴史と自然に彩られた吉野山、4人以上で行けばおトクで楽し。)
JR東海「うましうるわし奈良キャンペーン 金峯山寺篇」









吉野 2012年 桜巡り【1】



17:35 → 近鉄吉野駅到着。ロープウェイに乗り吉野山駅へ。
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できるだけ人が少ない時間を狙いたかったので、近鉄奈良駅 5時30分頃発に乗車。
平城宮跡通過中に、東の山から昇り始めた太陽が燦々と輝いていました。




途中、西大寺・橿原神宮前で乗り換え2回。
さすがにすべての電車、余裕で座ることができました。(^−^)
早起きした分、車中で爆睡。

近鉄吉野駅 7時30分頃到着。




駅から徒歩2分のロープウェイ「千本口」駅に向かいます。





発車まで10分ほど待つ間に、そこそこ満員になりました。
(片道350円・子供180円)
ロープウェイから、下千本桜の眺め。



3分で「吉野山」駅到着。



歩きだすとすぐに現れる銅の鳥居(かねのとりい)。
重要文化財、創立年代不詳。
吉野山から山上ケ岳まで4つある門のうちの最初で、
「発心門」(ほっしんもん)と書かれた扁額が掲げられています。
他の3つは、修行門、等覚門、妙覚門で、悟りへの4つの段階を象徴しているのだとか。
神仏習合の名残りで鳥居の柱が蓮台の上に立っています。



東大寺大仏さま鋳造の際に余った銅を使い建立されたと伝えられますが、
現在のものは室町時代の再興?


さらに、
お土産屋が並ぶ細い街並をすすんだ先正面すぐに、
金峯山寺(きんぷせんじ)仁王門(国宝)出現。



一週間前(4月12日)、秘仏ご開帳 蔵王権現様にご対面させて頂いたので、
この時は、仁王様にご挨拶だけして先に進むことに…。
(⇒過去記事「JR東海 奈良CM 金峯山寺篇」(2012.04.17更新)





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2進む(8:00 → 「一目千本」で有名な吉水神社。)
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吉野 2012年 桜巡り【2】



28:00 → 「一目千本」で有名な吉水神社。
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この日「とにかく今日は、何はともあれバスでいっきに奥千本まで行こう!」って計画を立てていました。
そして、春期のバス利用は、この先の竹林院バス停まで20〜30分ほど歩かねばなりません。
だから、吉水神社の鳥居の前でも、一瞬立ち止まったものの、そのまま素通り…
しようとした矢先、



「あなた、ここを素通りするなんて!」 と、

ロープウェイから偶然一緒だった大きなカメラ機材を抱えたカッコいい女性が、
わざわざ声をかけて下さったので…、
「じゃ、お参りします♪」と素直に予定変更。(笑)







はたして、


そこに広がっていた景色は、


まさに絶景。





「ホントにお声かけてくださってありがとうございます!」

中千本満開の時期にもかかわらず、
午前8時頃だったこともあり三脚携えたカメラマンの数もせいぜい5〜6名でした。



「一目千本」は拝観料不要です。
太陽が移動した午後の景色もいつか見たいなぁ。
この場所で、桜の季節の午後ゆっくりお花見…なんて絶対無理でしょうけどね。




吉水神社は、
修験道(しゅげんどう)開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が、
白鳳時代に創建。

金峯山寺の格式の高い僧房のひとつでしたが、
明治の神仏分離令で神社になったそうです。



桜以外にも、見るべきものが、たくさんある世界遺産の吉水神社。
秋の紅葉の頃じっくりお参りしたい。
吉水神社 公式サイト

そうそう、吉水神社はペット同伴参拝OKで、
ペットの祈祷、宮参り、七五三等も行っているそうですよ。
サイトに掲載されている参拝要領の説明が微笑ましい。
「2礼2拍手1拝(おそらくワンちゃんは、出来ないので飼い主がする)
本殿の前では、お座りをさせ、お辞儀をさせましょう。」

ワンちゃんと一緒に神社参り(参拝の際の留意点)より引用

犬が2拍手、「おそらく」じゃなくて「絶対無理」、(>_<)
そのあとサラッと書かれているお辞儀も相当難易度高い。(笑)





吉水神社から駐車場越しに眺めた金峯山寺蔵王堂も美しい。





さて、
ひとしきり、
絶景を堪能したあとは、
ふたたびバス乗車のために竹林院バス停を目指します。


金峯山寺参道沿いから吉水神社、そしてその先もしばらくずっと、
吉野葛や、山伏グッズ、サクラアイスクリームなど、
吉野ならではのお店が賑やかに並んでるのですが、
ひときわ目を引くのが、
陀羅尼助丸(だらにすけがん)の巨大ガマカエル。


許可を得て撮らせて頂きました。

陀羅尼助丸とは、
1300年前、役行者がオウバクのエキスを、
陀羅尼経(だらにきょう)を唱えながら煮詰め施薬を行ったのが始まりで、
胃腸のさまざまな病気に効く…らしいです。

で、このガマカエルは、
江戸時代、天から降ってきた(!)ときからお店のシンボルとして君臨。
よく見ると足が3本なんですねぇ。
(三つ足蛙の秘密はコチラ→和漢胃腸薬陀羅尼助 藤井利三郎薬房






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3進む(8:30 → 「竹林院(ちくりんいん)バス停」バス乗車。※春期、バスはここから発車。)
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1戻る(7:35 → 近鉄吉野駅到着。ロープウェイに乗り吉野山駅へ。)
吉野桜巡り(2012年)の地図&インデックスへ











吉野 2012年 桜巡り【3】



38:30 → 「竹林院(ちくりんいん)バス停」バス乗車。※春期、バスはここから発車。
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土産物屋やお食事処で賑わうゆるやかな坂道を歩いていくと、
やがて大きなカーブへとさしかかります。
標高は400mくらいでしょうか、
辺り一面満開を迎えた中千本桜の見事な眺めが延々と広がっています。

その中千本から上千本へとさしかかるあたりに、
竹林院群芳園(ちくりんいん ぐんぼうえん)があります。



もとはお寺で、
今は吉野を代表する高級旅館。
吉野山 旅館 竹林院群芳園

秀吉の花見に際して千利休が作庭した群芳園は、
吉野の山々や蔵王堂を望む一万坪の庭園で、大和三名庭のひとつ。
入園300円(宿泊客は不要)




こちらも「次回ゆっくり巡ってみたい場所リスト」追加ということで、
今回はスルー。

上を目指します。



この竹林院近くのバス停から、
奥千本口までの直通バスに乗り込みます。
運賃大人350円(あ、400円だったかも?)

桜の時期は15分間隔で次々発車するそうですが、
それでも、数時間待ちにもなるそうです。

この時、8時30分、
幸い余裕で座ることができました。



バスの窓から見えるのは、
杉林ばかりのくねくね道。

乗車時間はたった20分ほどなのですが、
乗り物嫌いの私はにわかにナーバスになっていたようで、
あとから気づけば、
この前後ほとんど画像がない状態なのでした…。





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4進む8:50 → (「奥千本口バス停」到着。金峯神社参拝、義経隠れ塔、西行庵を巡る。)
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2戻る8:00 → (「一目千本」で有名な吉水神社。)
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吉野 2012年 桜巡り【4】



48:50 → 「奥千本口バス停」到着。金峯神社参拝、義経隠れ塔、西行庵を巡る。
点線

「はい到着、奥千本口です。
 帰りもバスに乗ってもらったら私らは儲かるけど、
 せっかくやから下まで自分の足で歩いて帰って下さいや〜。」と、
バスの運転手さんが送り出してくれます。

バス停からすぐ目の前に広がるのは、
金峯神社(きんぷじんじゃ)への長い長い坂道。
ゆるやかに見えるけど、結構しんどい。

おやっ!「修行門」という石標が!(写真右下)



この時、ぜんぜん気づいてませんでした。
この鳥居は、吉野山から山上ケ岳まで4つの門(発心門、修行門、等覚門、妙覚門)の、
二つ目にあたる「修行門」だったんですねぇ。

道理で、
思いもよらず「修行」みたいな時間を過ごす羽目に…。
(その話は後ほど。)
ただこの時、
「畏れ多くも修行門をくぐったのだ。」という自覚があれば、
私の心構えもその後の展開も、
少しは違っていただろうに…とちょっと悔やまれます。


坂道を登りきると、
ひっそり佇む金峯神社の拝殿。




その奥に、本殿へと続く苔むした石段が見えますが、
この場所から本殿の様子を目にすることはできません。







そして、
神社の脇道を少し下った場所に建つ「義経隠れ塔」。



兄である頼朝に命を狙われ、
追っ手に囲まれた源義経が、
屋根を蹴破って逃げたと伝えられています。
(文治元年 1185年11月)

この窓のない塔は、
修行の場のひとつで、
内部が真っ暗になる造り。

屋根を蹴破る労力もさることながら、
その屋根から逃げることが得策とも思えない。
正直「いや、まさか、ウソでしょ。」って感じですけど、
どうなんでしょう?(笑)

義経は、この時なんとか難を逃れますが、
遠く奥州まで落ちて襲撃され、
33歳 31歳の若さで自害。
(文治5年 1189年4月)


…こうして質素な隠れ塔を目の前にすると、
源義経の必死の逃避行ぶりと、
この吉野の地で涙の別れを余儀なくされた愛しい静御前との
悲しい物語の一端を感じたような気がして、
ちょっとしんみりしました。

女人禁制の吉野山は、
静御前伴ってのこれ以上の逃避叶わず、
しかも、この時静御前は身ごもっていた為、
険しい山道は無理でした。

雪の吉野山で、
二人は再会を誓いますが、
これが永遠の別れとなります。

一人捕えられ引き戻された静御前。
その後、
鎌倉で義経の子を生みますが男の子だったために、
後継となりえるということで、
我が子もすぐに殺されます。

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人が恋しい)
静御前が、義経を慕って詠んだ歌。





さて、次目指すは、
吉野の桜をこよなく愛した西行の侘び住居「西行庵」。

金峯神社右の長い石畳の坂道をのぼっていきます。






まもなく見えてくる石標には
左 西行庵0.2k」の文字。

「あら、たった200メートルなら行きましょうよ」って、
私の前を行く50〜60代くらいの女性グループの内のお一人が、
明るい声でおっしゃってました。



察するところご婦人方は、
6名ほどのグループ行動で、
「西行庵まで行ってみるか、引き返すか。」
どうやら意見が分かれたまま、
何となくここまで来てしまったらしい…。
でも、
この0.2kの石標でようやく「行きましょう」と
めでたく満場一致したご様子でした。

で、その後ろを行く私も、
同じように思いましたよ。

「なんだ200メートルならすぐよねぇ。」って。









しかし、






そこは、
まるで日本昔話の山越え谷越えの世界。

狸や狐に化かされたり、
山姥に追っかけられたり、
空から天狗が舞い降りてきたり、
そんなことが日常茶飯事普通にありそうな、
驚きのめくるめく風景が広がっていたのです…。






私、バスに揺られてお花見気分のまま、
ここまで来てしまったんですけど、
ここってもはや観光地というよりは「登山」ですよね?
気持ちの切り替えができてないんですけど〜。
普段ほとんど平地しか歩いてない。
山登りといえば若草山(標高342m)ぐらいしか経験ない私にとって、
この道は、ほんとにびっくりな展開だったわけで…、

軽く滑って、
谷側にコロンって落ちてしまったら、
全身打撲、複雑骨折、多臓器破裂、
よくわからないけど、
とにかくなんか凄いことになりそうだ。
いや、打ちどころ悪かったら即死かも。





いろんなことが頭を駆け巡ります。
「今ならまだ間に合う。戻るか。」

ただ幅1メートルちょっとほどの細い道ですから、
引き返すにも、
後続の人に迷惑かかりそうで…、

そうこうしているうちに、
前の女性グループのお一人が、
しゃがみこんだまま動けなくなってしまった。
後ろにいた私のことを、
同行のお友達の誰かと勘違いなさっている様子。
「私、高所恐怖症なのよ〜。」
「えぇ〜!」

なんつーか、
パニックって感染するんですね。
つられて私も、急性高所恐怖症状態に。

いつのまにか、
私も一緒にグループの中に、
組み込まれてしまったような団子状態で、
ずるずる腰が引けたような足取りで、
それでも、
足を左右数センチづつでも、
前に出していけば、
否が応でも前進するもので…、





エライ騒ぎの200メートルでしたが、





無事、
西行庵に到着しました。



ここまで来れば、
今までの緊張もフッと緩むような
気持ちの良い広い平地が広がっており、
その片隅にポツンと西行庵が復元されています。




800年昔、
生涯を旅に暮らした歌人西行が、
3年間住んだ場所。

武士としてのエリートコースも、
妻と子も捨て(?)、
突然出家したのは23歳の時。

そのきっかけは、
友人の急死、
あるいは、
高貴な女性への失恋と、
諸説あるようですが、
とにかく軽くググっただけでも、
とても人間臭いエピソードがたくさんヒットしますねぇ。
文武両道でたいそう美形な方だったとか。


西行の人脈を頼りにした東大寺の僧侶 重源から、
「復興のため大仏様の砂金提供を約束してくれた奥州藤原氏に、
 早く送るよう伝えて欲しい」との依頼を受け、
40年ぶりに東北へ向ったのは晩年68歳のとき!
(関連過去記事⇒重源上人の命日 東大寺俊乗堂特別開扉2009.07.08)

この奥州行きの途中、
鎌倉で源頼朝に面会したことが「吾妻鏡」に記されており、
それにまつわる逸話も興味深い。

へぇ〜へぇ〜の連続で、
西行という人に、とても惹きつけられる思いが、
ふつふつと湧いて来ました。



願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ

かの有名なこの歌は、
お釈迦様の悟に憧れていた西行が
「この世の美しさの月と桜の下で、2月15日(釈迦の命日)に死にたい」と、
亡くなる十数年前に、遺言のように詠んだ歌で、
実際ほぼ歌のとおりの2月16日に亡くなったそうです。
終焉の地は、大阪河内の山里の、
役行者が開き行基や空海も修行した弘川寺。
享年73。(建久元年 1190年)


此の歌即ち是れ
如来の真の形体なり
されば一首読み出でては
一体の仏像を造る思いをなし

一句を思ひ続けては
秘密の真言を唱るに同じ
我れ此の歌によりて
法を得ることあり


西行71歳の時、まだ10代半ばだった明恵上人に
それまで誰にも語らなかった歌の秘密を伝えています。



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