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今夜の予習 行基菩薩


ご近所のお庭の八重桜。
なんて可憐なんでしょう…。うっとりです。




明日は、お天気崩れるようなので、
奈良市内のソメイヨシノ、
今日が、見おさめですね。

花の命は短くて…ですが、
今年は、異例の長さで頑張ってくれました。
桜の木も、ずっと開花中だとしんどいですよね。
今年も、たのしませてくれてありがとうデス。

これからは新緑の季節。
美しい青葉がキラキラ輝きだします。


ところで、早いものでもう一週間。
今夜は、
NHK古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」後半の日です。
公式サイト→古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」

後半は、大仏建立へ向けて、
どど〜と話が展開するはずなので、
きっと、こちらのお方が、大活躍されるのでは…と思い、
ちょっと予習しておきたいと思います。(笑)



多くの人々を動かし、
大仏づくりを成功に導いた行基さま。

亡くなったのは、
大仏完成前の3年前、82歳のときです。
だから、近鉄奈良駅前の噴水では、
東大寺の方角にむかって立っていらっしゃるのでしょうか…。



行基さまは、
ドラマ前半にもあったように、
大仏づくりを協力する前から、
多くの貧しい一般の人々に教えを説いていました。

また、百済系渡来人の子孫としての土木技術の知識をいかし、
いくつもの橋・池(灌漑施設)・港をつくる土木工事を、
行っていました。

「あなたはなぜ橋をつくるのですか?」
吉備真備の問いかけに、

「天のことは見てるほかない。
 しかし、
 地上のことは、手をくだせば、おもいは叶う。」
と応えています。

当時(奈良時代)の僧は、
お寺のなかにこもって、
お経を読んだり、写経したりすることで、
国家の安泰を祈ることが一般的でしたが、

行基は、そのような仏教界に疑問を抱き、
その日の生活にも苦しむひとびとを、
実践で真に助けるために、
畿内各地をまわって、手をくだしたのです。

橋や池以外にも、
地方から、
働かせるために連れてこられた人々のための宿泊所(布施屋)を、
現在の京都府・奈良県・大阪府の各地にたくさん作りました。

また、近畿諸国をまわった折り、
正確な地図を制作しており、
その地図は、なんと江戸時代まで使われたそうです。


このようなことから、
行基をしたって集まる人々は、
数千人にものぼりましたが、
そのために、朝廷からはうとまれ、
たびたび布教活動を禁じるなど、
手厳しく糾弾されました。

が、しかし、
聖武天皇と光明皇后は、大仏建立にあたり、
それまでの朝廷の態度を改め、
民衆から絶大な人気があった行基に、
協力を依頼します。
(人手や寄付を集めるために?)
(あるいは真に行基の教えに感動したのか?)




個人的に、
行基は大仏建立に協力したことを後悔しているのでは…?と、
私は、少し思ったりしているのですが。(-_-;)
このあたり、
ドラマではどのような展開になっているのか、
とても気になるところ。




■行基の一生と時代背景
 (※カッコ内は行基の年齢)

668年(1歳)  河内国に生まれる 父母ともに渡来系 ※天智天皇(中大兄皇子)即位

672年(5歳)  ※壬申の乱

682年(15歳) 飛鳥にて僧になる

704年(33歳) 生まれた家を「家原寺(いえはらでら)」とし布教活動開始 近畿各地に道場をつくる

710年(43歳) ※平城遷都

712年(45歳) 布施屋をつくりはじめる

717年(50歳) 朝廷より活動を禁止されるが無視して続ける

724年(57歳) ※聖武天皇 即位

741年(74歳) ※聖武天皇が行基のたてた寺に行幸

743年(76歳) ※大仏造立の詔(みことのり)が出される

747年(78歳) 大僧正(僧侶としての最高の位)となる

749年(82歳) 奈良の菅原寺(現在の喜光寺)で亡くなる

752年     ※大仏開眼


参考図書
人物なぞどき日本の歴史(1) 小峰書店
奈良に都を移した理由は(3)奈良時代 学研
奈良の寺社150を歩く (PHP新書) 槇野 修 (著), 山折 哲雄 (監修)






古代 大宮人のピクニック 飛火野





春日山、御蓋山(みかさやま)、高円山を望むこの場所は、
1300年前の大宮人たちにとって、
定番のピクニックエリアだったと、
昔、国語の先生が万葉集つながりで教えてくれました。

「古代」と「ピクニック」?
結びつきそうもない二つの言葉が、
とても印象的で、
今でも忘れずにいます。(笑)
(日本史は、歴史と国語の先生がタッグを組んで授業したらいいかも?)





そのころ、
まだ春日大社は、
存在していなかったのかもしれませんが、

あの平城宮から、貴族たちが、
このあたりの野山までトコトコ出かけてきて、
野外のランチを楽しんだり、
蹴鞠のスポーツをしたり、
あるいは、酒宴を開いたり…。





特に、
長い冬ごもりのあと、早春の飛火野で、
若菜を摘んで、煮て食べるという風習があったそうで、
大地の生命力の源を体に取り入れることで、
無病息災を願ったのかもしれません。

今の七草粥はその名残…との説もあるのだとか。





春日野に 煙立つ見ゆ 娘子らし
春野(はるの)のうはぎ 摘みて煮(に)らしも

(万葉集 8-1879 作者未詳)

春日野に煙が立っているのは、
乙女らが、春野で摘んだうはぎ(ヨメナ)を煮ているのだろうか
…といった意味だそうです。





うはぎ(宇波疑)は、キク科ヨメナ属の植物のよめな(嫁菜)という多年草のことで、
現代でも若菜をおひたし等で食べている植物。
万葉時代には、肌が綺麗になるという効用で、
若い娘さんたちに人気だったそうですよ。


私、1〜2ヶ月後には、
飛火野で、
よめなの若菜を必死で探しているかも?
若い娘さんじゃないから悪あがきって言われそう…。笑
そもそも、当時の「若い」って何歳ぐらいを指しているのか?
今なら「子供」と呼ぶ世代かもしれない。中学生くらいとか…?
(精神年齢はまた違うでしょうけど。)
この頃の平均寿命って何歳くらいだったんでしょうね。
天皇家系は、40後半から50代が多いみたいですが。
















1300年前の落書き【3】


1300年前の落書き【2】のつづきです。

唐招提寺金堂の梵天像の台座反花の1300年前の落書きには、
人物以外に、馬、兎、蛙、などの生き物が描かれていました。

そのお馬さんの落書きの絵は、こんな感じ↓↓↓



なかなか、表情豊かなかわいいお馬さんです。


ふむ…、

どっかで見覚えある感じ?








あっ!!!

そうだぁ、昨年の2009年 正倉院展で観た馬のお面!

金薄絵馬頭(きんぱくえのうまのかしら、楽舞用の駒形)





似てる!?

といいっても、
私の適当な殴り書きイラストで比較してるだけですけど。

あれ「それがどうした?」って感じですか?

意外なところで、意外なものが繋がると
私は、なんだかとっても嬉しい!!
(ま、よく考えれば意外でもないんでしょうが。)

大発見した気分。

似てることが、何を意味するのか?…よくわかりませんが。(笑)

たとえば、正倉院展では、
このお馬さんのお面の狛楽(こまがく)は、
朝鮮半島に起源を持つと解説されていました。

ってことは、
もしかして、この落書きが発見された場所である唐招提寺金堂の梵天立像の、
台座を扱っていた工人たちは、
朝鮮半島からの渡来人ってこと?

もしかして、
このやたらとデフォルメされたお馬さんは、
当時のキャラクター的存在だったのかも?
いわば、元祖せんとくん!(かなり強引)


そういえば、
昔、何かの本で、
飛鳥から奈良の都にうつってきたときの人口の、
8割ほどが、渡来人だったと読んだことがあるような、ないような。
(なにもかも適当な言い草で恐縮です…。)

だから、
落書き好きの工人たちが、もともと大陸の人であっても、
それは、決して珍しいことではないのかもしれません。

もしくは、
平城京は、日本最初の国際社会だったわけですから、
海を渡ってはるばるやってきた諸外国の使節が、
あの立派にそびえ立つ大極殿で儀式をもって、
迎え入れられたはずで、
その時一緒に、落書き好きの工人たちも一緒に来たのかもしれない。


落書きに描かれている人物も、
やけに彫が深くて、
へんてこなヘアースタイルしてますしね。(笑)

落書きに描かれていたような人たちが、朱雀大路を闊歩してたとしたら…↓↓↓


スタートレックの宇宙ステーション"DS9(ディープ・スペース・ナイン)"に、
勝るとも劣らない異様な風景ですよね。

どんだけ面白い世の中だったんでしょうか?

大陸からの技術をどんどん吸収して立派な日本をつくるんだ!という
活気に満ちあふれていたことは間違いないでしょうが、

その裏で、
熾烈な勢力争い、
そして、
貧しい民衆は、粗末な住処で、
飢えや病に苦しんでいたりと、
決して平和な状態ではなかったと、
斜め読みした関連書籍等には記されています。
賭博も大流行りだったそうですよ。



ま、こんな風に、
1300年前の落書きを、じっと見つめていると、
カオス古代への妄想が暴走して止まりません〜。

しかも、無知ゆえに、
無限に想像力がむちゃくちゃ羽ばたいてしまいます。


落書き眺めながら、アホなこと(あ、関東的表現では「バカなこと」?)を、
もっといろいろ妄想しましたが、(笑)
とりあえず、
「1300年前の落書き」これにて です。
三日連続おつきあいくださり感謝♪


【関連過去記事】
2009年 正倉院展 金薄絵馬頭(きんぱくえのうまのかしら、楽舞用の駒形)
1300年前の落書き【2】
1300年前の落書き【1】






1300年前の落書き【2】


1300年前の落書き【1】のつづきです。

あの1300年前の落書きが、
どこで発見されたのか…?

実は、
唐招提寺金堂の梵天立像(ぼんてんりゅうぞう)の台座!

あの、国宝の、梵天像(八世紀 奈良時代 木造・乾漆併用 彩色)の、
台座反花に墨で描かれていたのです。
(唐招提寺なので、約1250年前の落書き…かな?)

↓↓↓参考図書 平城京再現 (とんぼの本)



コチラのサイトで唐招提寺金堂の梵天像をご覧になれます。
-------------------------
金堂本尊・盧舎那仏坐像の左側に侍立する。像の大半を針葉樹の一材から彫り出し、天衣は完全に乾漆の盛上げのみにて表現する。台座反花に墨で描かれた人物、馬、兎、蛙、男根、女陰等の戯画(工人の落書き)も注目される。
唐招提寺2010プロジェクト 唐招提寺の名宝 天立像(ぼんてんりゅうぞう)
より引用転載
-------------------------

ね?ビックリですよね。(笑)

仏像にこんな落書きするなんて、
なんて大胆なことを!

工人のみなさん、
よほど鬱憤がたまっていたのか?

見つかったらどれだけ怒られるか!
…というか、
怒られるくらいで済むんだろうか?

それとも、鑑真和上は、
そんなこと気にとめない大らかなお人柄だったのでしょうか?


この落書きを見て、さらに、
私ニンマリほくそ笑んでいることがあります。




1300年前の落書き【3】へ、つづく…

ちょっと身辺バタついてますので、小出し傾向です。(^_^;)







1300年前の落書き【1】


書籍で目にした、1300年前の落書き(ほんの一部)を模写してみました。



当時は、「漢字」がこの国に運ばれてきたばかり、
多くの人は文字表現という手段をもたない時代(ですよね?)
だから、
イラストは、意志疎通の大切な手段だったのかなぁ〜。

それにしても、
この落書き…、どうみても落書き以上のものは感じられない。(笑)

現物は、もっと広い範囲にたくさんの種類のものたちが、
四方八方から描かれていて、
中には、卑猥な図柄(!?)もあったりなんかします。

ユルユルの楽しさに満ちていてとっても面白い。
おそらく、
何人かがジョーク飛ばしながら、
娯楽感覚で描いていたんだろうなぁ…って雰囲気。

そもそも、1300年前のジョークってどんな感じ?

想像してみるだけで、
まさに平城京ロマン?!(ちょっと違うか…)

これらの落書き、
ご存知の方、多いと思いますが、
ビックリするような場所に描かれているんですよね…(笑)
仕事をさぼって描いたのねって場所。




1300年前の落書き【2】へ、つづく…







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