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吉野 2012年 桜巡り




4月18日、中千本(なかせんぼん)桜が満開の頃、お花見巡りをしてきました。
下千本(しもせんぼん)から、一番上の奥千本(おくせんぼん)まで、標高差500m麓から順に咲き上がっていく約200種3万本、それぞれの開花過程を愉しみつつの超豪華なお花見。
それはそれは見事でした。
なら散策オリジナルmap

点線

17:35 → 近鉄吉野駅到着。ロープウェイに乗り吉野山駅へ。
28:00 → 一目千本」で有名な吉水神社
38:30 → 竹林院(ちくりんいん)バス停」バス乗車。※春期、バスはここから発車。
48:50 → 奥千本口バス停」到着。金峯(きんぶ)神社参拝、義経隠れ塔西行庵を巡る。
510:00 → 青根ヶ峰 (道に迷ってじゃっかん山中さまよう。)
610:50 → 吉野水分(よしのみくまり)神社
711:10 → 花矢倉展望台
812:00 → 五郎平園地(ここでお弁当タイム♪)
912:40 → 中千本はじめ上と下、全部を見渡せる、お花見三昧エリア。
1012:50 → 如意輪寺(にょいりんじ) 宝物館見学のあとお抹茶で一休み。
1114:30 → 舗装された静かな裏道。(このエリア、車椅子の方でも大丈夫そう。)
1214:40 → 近鉄吉野駅到着。帰路につく。





今年は、桜の開花が遅かった分、奥千本はゴールデンウィーク頃まで楽しめるかも?との噂です。
26日すべて葉桜になったとのお知らせ有り。

吉野観光関連リンク
吉野町 桜開花情報
近鉄てくてくまっぷ(奈良-32) 吉野山回遊「上・中・下千本」コース 約9km
吉野山観光協会
交通規制の期間・内容、ケーブルカー・ロープウェイ・臨時バスの時刻表
吉野山交通・環境対策協議会 平成24年度 奈良県吉野山観光駐車場利用のご案内
吉野山・金峯山寺特別展拝観券付割引きっぷ
吉野路ウィークデー4(歴史と自然に彩られた吉野山、4人以上で行けばおトクで楽し。)
JR東海「うましうるわし奈良キャンペーン 金峯山寺篇」









吉野 2012年 桜巡り【1】



17:35 → 近鉄吉野駅到着。ロープウェイに乗り吉野山駅へ。
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できるだけ人が少ない時間を狙いたかったので、近鉄奈良駅 5時30分頃発に乗車。
平城宮跡通過中に、東の山から昇り始めた太陽が燦々と輝いていました。




途中、西大寺・橿原神宮前で乗り換え2回。
さすがにすべての電車、余裕で座ることができました。(^−^)
早起きした分、車中で爆睡。

近鉄吉野駅 7時30分頃到着。




駅から徒歩2分のロープウェイ「千本口」駅に向かいます。





発車まで10分ほど待つ間に、そこそこ満員になりました。
(片道350円・子供180円)
ロープウェイから、下千本桜の眺め。



3分で「吉野山」駅到着。



歩きだすとすぐに現れる銅の鳥居(かねのとりい)。
重要文化財、創立年代不詳。
吉野山から山上ケ岳まで4つある門のうちの最初で、
「発心門」(ほっしんもん)と書かれた扁額が掲げられています。
他の3つは、修行門、等覚門、妙覚門で、悟りへの4つの段階を象徴しているのだとか。
神仏習合の名残りで鳥居の柱が蓮台の上に立っています。



東大寺大仏さま鋳造の際に余った銅を使い建立されたと伝えられますが、
現在のものは室町時代の再興?


さらに、
お土産屋が並ぶ細い街並をすすんだ先正面すぐに、
金峯山寺(きんぷせんじ)仁王門(国宝)出現。



一週間前(4月12日)、秘仏ご開帳 蔵王権現様にご対面させて頂いたので、
この時は、仁王様にご挨拶だけして先に進むことに…。
(⇒過去記事「JR東海 奈良CM 金峯山寺篇」(2012.04.17更新)





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2進む(8:00 → 「一目千本」で有名な吉水神社。)
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吉野 2012年 桜巡り【2】



28:00 → 「一目千本」で有名な吉水神社。
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この日「とにかく今日は、何はともあれバスでいっきに奥千本まで行こう!」って計画を立てていました。
そして、春期のバス利用は、この先の竹林院バス停まで20〜30分ほど歩かねばなりません。
だから、吉水神社の鳥居の前でも、一瞬立ち止まったものの、そのまま素通り…
しようとした矢先、



「あなた、ここを素通りするなんて!」 と、

ロープウェイから偶然一緒だった大きなカメラ機材を抱えたカッコいい女性が、
わざわざ声をかけて下さったので…、
「じゃ、お参りします♪」と素直に予定変更。(笑)







はたして、


そこに広がっていた景色は、


まさに絶景。





「ホントにお声かけてくださってありがとうございます!」

中千本満開の時期にもかかわらず、
午前8時頃だったこともあり三脚携えたカメラマンの数もせいぜい5〜6名でした。



「一目千本」は拝観料不要です。
太陽が移動した午後の景色もいつか見たいなぁ。
この場所で、桜の季節の午後ゆっくりお花見…なんて絶対無理でしょうけどね。




吉水神社は、
修験道(しゅげんどう)開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が、
白鳳時代に創建。

金峯山寺の格式の高い僧房のひとつでしたが、
明治の神仏分離令で神社になったそうです。



桜以外にも、見るべきものが、たくさんある世界遺産の吉水神社。
秋の紅葉の頃じっくりお参りしたい。
吉水神社 公式サイト

そうそう、吉水神社はペット同伴参拝OKで、
ペットの祈祷、宮参り、七五三等も行っているそうですよ。
サイトに掲載されている参拝要領の説明が微笑ましい。
「2礼2拍手1拝(おそらくワンちゃんは、出来ないので飼い主がする)
本殿の前では、お座りをさせ、お辞儀をさせましょう。」

ワンちゃんと一緒に神社参り(参拝の際の留意点)より引用

犬が2拍手、「おそらく」じゃなくて「絶対無理」、(>_<)
そのあとサラッと書かれているお辞儀も相当難易度高い。(笑)





吉水神社から駐車場越しに眺めた金峯山寺蔵王堂も美しい。





さて、
ひとしきり、
絶景を堪能したあとは、
ふたたびバス乗車のために竹林院バス停を目指します。


金峯山寺参道沿いから吉水神社、そしてその先もしばらくずっと、
吉野葛や、山伏グッズ、サクラアイスクリームなど、
吉野ならではのお店が賑やかに並んでるのですが、
ひときわ目を引くのが、
陀羅尼助丸(だらにすけがん)の巨大ガマカエル。


許可を得て撮らせて頂きました。

陀羅尼助丸とは、
1300年前、役行者がオウバクのエキスを、
陀羅尼経(だらにきょう)を唱えながら煮詰め施薬を行ったのが始まりで、
胃腸のさまざまな病気に効く…らしいです。

で、このガマカエルは、
江戸時代、天から降ってきた(!)ときからお店のシンボルとして君臨。
よく見ると足が3本なんですねぇ。
(三つ足蛙の秘密はコチラ→和漢胃腸薬陀羅尼助 藤井利三郎薬房






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3進む(8:30 → 「竹林院(ちくりんいん)バス停」バス乗車。※春期、バスはここから発車。)
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1戻る(7:35 → 近鉄吉野駅到着。ロープウェイに乗り吉野山駅へ。)
吉野桜巡り(2012年)の地図&インデックスへ











吉野 2012年 桜巡り【3】



38:30 → 「竹林院(ちくりんいん)バス停」バス乗車。※春期、バスはここから発車。
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土産物屋やお食事処で賑わうゆるやかな坂道を歩いていくと、
やがて大きなカーブへとさしかかります。
標高は400mくらいでしょうか、
辺り一面満開を迎えた中千本桜の見事な眺めが延々と広がっています。

その中千本から上千本へとさしかかるあたりに、
竹林院群芳園(ちくりんいん ぐんぼうえん)があります。



もとはお寺で、
今は吉野を代表する高級旅館。
吉野山 旅館 竹林院群芳園

秀吉の花見に際して千利休が作庭した群芳園は、
吉野の山々や蔵王堂を望む一万坪の庭園で、大和三名庭のひとつ。
入園300円(宿泊客は不要)




こちらも「次回ゆっくり巡ってみたい場所リスト」追加ということで、
今回はスルー。

上を目指します。



この竹林院近くのバス停から、
奥千本口までの直通バスに乗り込みます。
運賃大人350円(あ、400円だったかも?)

桜の時期は15分間隔で次々発車するそうですが、
それでも、数時間待ちにもなるそうです。

この時、8時30分、
幸い余裕で座ることができました。



バスの窓から見えるのは、
杉林ばかりのくねくね道。

乗車時間はたった20分ほどなのですが、
乗り物嫌いの私はにわかにナーバスになっていたようで、
あとから気づけば、
この前後ほとんど画像がない状態なのでした…。





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4進む8:50 → (「奥千本口バス停」到着。金峯神社参拝、義経隠れ塔、西行庵を巡る。)
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2戻る8:00 → (「一目千本」で有名な吉水神社。)
吉野桜巡り(2012年)の地図&インデックスへ










吉野 2012年 桜巡り【4】



48:50 → 「奥千本口バス停」到着。金峯神社参拝、義経隠れ塔、西行庵を巡る。
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「はい到着、奥千本口です。
 帰りもバスに乗ってもらったら私らは儲かるけど、
 せっかくやから下まで自分の足で歩いて帰って下さいや〜。」と、
バスの運転手さんが送り出してくれます。

バス停からすぐ目の前に広がるのは、
金峯神社(きんぷじんじゃ)への長い長い坂道。
ゆるやかに見えるけど、結構しんどい。

おやっ!「修行門」という石標が!(写真右下)



この時、ぜんぜん気づいてませんでした。
この鳥居は、吉野山から山上ケ岳まで4つの門(発心門、修行門、等覚門、妙覚門)の、
二つ目にあたる「修行門」だったんですねぇ。

道理で、
思いもよらず「修行」みたいな時間を過ごす羽目に…。
(その話は後ほど。)
ただこの時、
「畏れ多くも修行門をくぐったのだ。」という自覚があれば、
私の心構えもその後の展開も、
少しは違っていただろうに…とちょっと悔やまれます。


坂道を登りきると、
ひっそり佇む金峯神社の拝殿。




その奥に、本殿へと続く苔むした石段が見えますが、
この場所から本殿の様子を目にすることはできません。







そして、
神社の脇道を少し下った場所に建つ「義経隠れ塔」。



兄である頼朝に命を狙われ、
追っ手に囲まれた源義経が、
屋根を蹴破って逃げたと伝えられています。
(文治元年 1185年11月)

この窓のない塔は、
修行の場のひとつで、
内部が真っ暗になる造り。

屋根を蹴破る労力もさることながら、
その屋根から逃げることが得策とも思えない。
正直「いや、まさか、ウソでしょ。」って感じですけど、
どうなんでしょう?(笑)

義経は、この時なんとか難を逃れますが、
遠く奥州まで落ちて襲撃され、
33歳 31歳の若さで自害。
(文治5年 1189年4月)


…こうして質素な隠れ塔を目の前にすると、
源義経の必死の逃避行ぶりと、
この吉野の地で涙の別れを余儀なくされた愛しい静御前との
悲しい物語の一端を感じたような気がして、
ちょっとしんみりしました。

女人禁制の吉野山は、
静御前伴ってのこれ以上の逃避叶わず、
しかも、この時静御前は身ごもっていた為、
険しい山道は無理でした。

雪の吉野山で、
二人は再会を誓いますが、
これが永遠の別れとなります。

一人捕えられ引き戻された静御前。
その後、
鎌倉で義経の子を生みますが男の子だったために、
後継となりえるということで、
我が子もすぐに殺されます。

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人が恋しい)
静御前が、義経を慕って詠んだ歌。





さて、次目指すは、
吉野の桜をこよなく愛した西行の侘び住居「西行庵」。

金峯神社右の長い石畳の坂道をのぼっていきます。






まもなく見えてくる石標には
左 西行庵0.2k」の文字。

「あら、たった200メートルなら行きましょうよ」って、
私の前を行く50〜60代くらいの女性グループの内のお一人が、
明るい声でおっしゃってました。



察するところご婦人方は、
6名ほどのグループ行動で、
「西行庵まで行ってみるか、引き返すか。」
どうやら意見が分かれたまま、
何となくここまで来てしまったらしい…。
でも、
この0.2kの石標でようやく「行きましょう」と
めでたく満場一致したご様子でした。

で、その後ろを行く私も、
同じように思いましたよ。

「なんだ200メートルならすぐよねぇ。」って。









しかし、






そこは、
まるで日本昔話の山越え谷越えの世界。

狸や狐に化かされたり、
山姥に追っかけられたり、
空から天狗が舞い降りてきたり、
そんなことが日常茶飯事普通にありそうな、
驚きのめくるめく風景が広がっていたのです…。






私、バスに揺られてお花見気分のまま、
ここまで来てしまったんですけど、
ここってもはや観光地というよりは「登山」ですよね?
気持ちの切り替えができてないんですけど〜。
普段ほとんど平地しか歩いてない。
山登りといえば若草山(標高342m)ぐらいしか経験ない私にとって、
この道は、ほんとにびっくりな展開だったわけで…、

軽く滑って、
谷側にコロンって落ちてしまったら、
全身打撲、複雑骨折、多臓器破裂、
よくわからないけど、
とにかくなんか凄いことになりそうだ。
いや、打ちどころ悪かったら即死かも。





いろんなことが頭を駆け巡ります。
「今ならまだ間に合う。戻るか。」

ただ幅1メートルちょっとほどの細い道ですから、
引き返すにも、
後続の人に迷惑かかりそうで…、

そうこうしているうちに、
前の女性グループのお一人が、
しゃがみこんだまま動けなくなってしまった。
後ろにいた私のことを、
同行のお友達の誰かと勘違いなさっている様子。
「私、高所恐怖症なのよ〜。」
「えぇ〜!」

なんつーか、
パニックって感染するんですね。
つられて私も、急性高所恐怖症状態に。

いつのまにか、
私も一緒にグループの中に、
組み込まれてしまったような団子状態で、
ずるずる腰が引けたような足取りで、
それでも、
足を左右数センチづつでも、
前に出していけば、
否が応でも前進するもので…、





エライ騒ぎの200メートルでしたが、





無事、
西行庵に到着しました。



ここまで来れば、
今までの緊張もフッと緩むような
気持ちの良い広い平地が広がっており、
その片隅にポツンと西行庵が復元されています。




800年昔、
生涯を旅に暮らした歌人西行が、
3年間住んだ場所。

武士としてのエリートコースも、
妻と子も捨て(?)、
突然出家したのは23歳の時。

そのきっかけは、
友人の急死、
あるいは、
高貴な女性への失恋と、
諸説あるようですが、
とにかく軽くググっただけでも、
とても人間臭いエピソードがたくさんヒットしますねぇ。
文武両道でたいそう美形な方だったとか。


西行の人脈を頼りにした東大寺の僧侶 重源から、
「復興のため大仏様の砂金提供を約束してくれた奥州藤原氏に、
 早く送るよう伝えて欲しい」との依頼を受け、
40年ぶりに東北へ向ったのは晩年68歳のとき!
(関連過去記事⇒重源上人の命日 東大寺俊乗堂特別開扉2009.07.08)

この奥州行きの途中、
鎌倉で源頼朝に面会したことが「吾妻鏡」に記されており、
それにまつわる逸話も興味深い。

へぇ〜へぇ〜の連続で、
西行という人に、とても惹きつけられる思いが、
ふつふつと湧いて来ました。



願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ

かの有名なこの歌は、
お釈迦様の悟に憧れていた西行が
「この世の美しさの月と桜の下で、2月15日(釈迦の命日)に死にたい」と、
亡くなる十数年前に、遺言のように詠んだ歌で、
実際ほぼ歌のとおりの2月16日に亡くなったそうです。
終焉の地は、大阪河内の山里の、
役行者が開き行基や空海も修行した弘川寺。
享年73。(建久元年 1190年)


此の歌即ち是れ
如来の真の形体なり
されば一首読み出でては
一体の仏像を造る思いをなし

一句を思ひ続けては
秘密の真言を唱るに同じ
我れ此の歌によりて
法を得ることあり


西行71歳の時、まだ10代半ばだった明恵上人に
それまで誰にも語らなかった歌の秘密を伝えています。



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5進む(10:00 → 青根ヶ峰 道に迷ってじゃっかん山中さまよう。)
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吉野 2012年 桜巡り【5】



510:00 → 青根ヶ峰 道に迷ってじゃっかん山中さまよう。
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西行庵で、一息ついたあと、
多くの人は今来た道をそのまま引き返して、
金峯神社へと戻る様子でした。

私は、途中二手に分かれた別の方の道へ…。




訪れた4月18日、
この奥千本の桜はまだまだ固い蕾でしたが、
幾重にも続く山並みは、
世俗を寄せ付けない厳しい風情を放ちながらも、
スーッとひきこまれてしまうような優美な青の世界で、
しばらくその場に立ちつくし、
その美しさを目に焼き付けるように、
何度も深呼吸しました。













すぐに、
宝塔院跡と案内板が立つ場所へ導かれます。

このあたり一帯はその昔、
多宝塔、四方正面堂、安禅寺蔵王堂他、
大小の寺院が点在していたそうですが、
明治の廃仏毀釈で姿を消してしまい、
今では詳細な位置も定かではない等の説明が記されていました。






その先、さらにもう少し奥へ…、



小枝がまったくない美しく整備された杉林が続きます。



朝の木漏れ日
鳥のさえずり、
歩いているだけで、
まさに心洗われるような気持ち良さ。

今でも、
そっと目を閉じれば、
この時の清々しい感覚が鮮やかに蘇ります。







「こんにちは」

「こんにちは〜」


不思議なもので、西行庵を境に、
さらにその奥へと進む山道で時々すれ違う人達とは、
どちらともなしに、
自然に挨拶を交します。


でもその方々皆さん、
登山リュックに登山靴、
そして、
手にはスティックを持ち、
その出で立ちは立派に山登りスタイル。

自分の軽装が、
だんだん心配になってくる。





ほどなくして 女人結界の石碑が…。

従是女人結界
ここは、昭和45年まで「女人結界口」だった場所。

今から827年前のこの場所で、
雪降る中、
静御前が義経を見送ったのですね…。
義経は「これを私だと思っていつも持っているように」と、
静に小鏡を手渡しています。
すでにこの時、義経は、
永久の別れを覚悟していたのかもしれません。(涙)



道しるべが示す右に進めば、
青根ヶ峰を経て、蔵王権現さま出現の地 山上ヶ岳(1,719m)に至る道です。
この吉野山から山上ヶ岳までの総称が、
金峯山だということを後から知りました。
金峰神社が、大峰修検道場の出発点だということも…。

山上ヶ岳は、今なお女人禁制の地で、女性は登れませんし、
山が開いている期間も限られており、誰でも参拝できる場所ではありませんが、
現在は、その範囲を狭め、
ここからさらに先に進んだところに、
実際の女人結界門の仕切りがあるようです。


ここで素直に左に引き返せば良かったんですけど、
無知ゆえの大胆さで「もうちょっとだけ行ってみよう」と、
好奇心のおもむくまま、
右に進んでしまったのでした。

修験道の聖地吉野山だというのに、
神仏に抱かれて歩くことの自覚がないまま、
身の程知らずにも、
お気軽に前進してしまった私には、
この後、それなりの苦難の道のりが…?!



歩きだしたものの、
ここからパタリと、
誰ひとりとしてすれ違わない状態が続きます。

だんだん、
心細くなってくる。

さらに、頼みの綱のくしゃくしゃになった地図(近鉄てくてくマップ)と、
目の前に続く道を何度も見比べるのだけれど、
どうも様子が違う。


そうこうしているうちに、
あれ、道がない?」みたいな場所に行きついてしまい…、
「これは、もしかして遭難?」(←大げさ)

あとは焦りのあまり、
必死に歩き回ること30〜40分。
多分アドレナリン過剰分泌状態(?!)に陥っていて、
急な山道もどんどん登って行ってしまう始末。



もはや自分がわけわからん状態です。
(こんなに後戻りできない性格だったとは…。)




その結果、
吉野山で一番高い場所、標高858メートルの、
青根ヶ峰(あおねがみね)に、
(特にそのつもりもなかったのに、)
到着してしまったのでした。


帰宅後調べてみたら、
さきほどの女人結界石碑から青根ヶ峰まではわずか100mほど。
しかも迷うほど複雑な山道でもなく、
私はいったい何処をどうグルグル歩きまわっていたんだか…、
未だ不明です。



吉野山と言えば、桜の下千本、中千本、上千本、奥千本といったイメージですが、
その最高峰がこの場所青根ヶ峰なんですね。
そう思えば、
ちょっと迷ったくらいのことが吹き飛ぶくらい感慨深い…ような気がしないでもない。

しかし、たどりついた青根ヶ峰の山頂は、
木立に囲まれたこじんまりしたエリアで、
素晴らしい眺望もなく、
最高峰という言葉のイメージとはおおよそほど遠い、
地味な場所でした。


ところで、
青根が峯は、
万葉集にも詠まれています。

み吉野の 青根が峯の 苔むしろ 誰か織りけむ 経緯無しに

「み吉野」の「み」は、「御」の意味かしら。
「苔むしろ」とは、まるで「むしろ」を敷きつめたように苔が広がっている状態でしょうか?
私達も苔の美しい庭を訪ねて「まるでビロードの絨毯みたい」と言ったりしますよね。
万葉人も「苔」を織物にたとえて「誰がこんなに美しく織ったのだろうか」と、
感動の気持ちを詠んだのかな〜。
(私の適当な解釈。ぜんぜん違ってたらゴメンナサイ。)

昔は、しっとりと苔の緑が美しい雰囲気だったのかもしれません。
そんな気持ちが伝わってくるような優美な歌です。
今の山頂はこんなにパサパサ乾燥した地味な場所ですけど。
そして、
相変わらず誰一人来ない。

私ったら、
お花見気分のまま、
こんな場所まで来てしまった…、
しかも一人で。(涙)

フクロウのイラストがやけに心に沁みました。
(なぜフクロウなんだ?ということも含めて。)



ここで一句…、

み吉野で 道に迷いて 青根ヶ峰 誰が描いたか フクロウの絵 


そのまんまやん。

しかも、字あまり。

ま、いいか。



測量標の三角点もあったに違いないのですが、
この時、
ぜんぜん意識至らず。(苦笑)

普通は、ここで証拠としての三角点とともに、
登頂記念の写真を撮るのかもしれませんけど、
個人的には、
黄色い目をしたフクロウのイラストのほうが印象深くて…。

あ、ちなみに、
その下の朱の文字は、
「人の用心」じゃなくて「火の用心」と書かれています。(笑)

でも、
人の気配のない山道は恐ろしいですが、
そこで、
野蛮な不審人物と遭遇するのはもっと恐ろしい。
何にせよ、
西行庵までならまだしも、
ここ青根ヶ峰は、
初心者が一人で来るところじゃないな…と思った次第。


けど、木漏れ日の杉林は、
ほんとに気持ちヨカッタです。
また行きたい。




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6進む(10:50 → 吉野水分神社。)
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吉野 2012年 桜巡り【6】



610:50 → 吉野水分神社。
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さて、青根ヶ峰から金峯神社に戻りまして、
下り坂をてくてく歩くこと20〜30分。
青根ヶ峰の疲れが出たのか、
やや放心状態の足取りが我ながら情けない。(苦笑)

それと、この界隈「奥千本口」近くまでは、
一週間ほど前に友人と来たばかりだったので、
すでにちょっと懐かしい場所のような安心感もありました。
(⇒過去記事「JR東海 奈良CM 金峯山寺篇」2012.04.17更新)

しかし、
太陽の位置もいつのまにかかなり高く、
陽射しもきつい。

朝の光に輝く中・上千本の桜を愛でるはずが、
奥千本の山中で予定以上に時間を費やしてしまったな…と、
微妙な気持ちを抱きつつ、
辿り着いた先は、吉野水分神社(ヨシノミクマリジンジャ)です。

この時(4月18日)、ちょうど中・上千本桜が、
それぞれ満開と咲き始めの見頃を迎えていましたで、
ここまで下るとやはり、
平日とはいえかなりの人出でした。




奥千本では、まだまだ固い蕾だった桜も、
上千本ではすでに美しく開花しています。

白い山桜、
花に寄り添う赤い葉が鮮やか。




この白い花びらと、
紅い葉が、
遠目にみると絶妙に混ざり合って、
様々な濃淡の桜色に見えるんですねぇ。





吉野水分神社の立派な鳥居の下の石段を上り、
楼門をくぐります。



大和国に4つある水分神社(宇太・葛城・都祁・吉野)のうちの1つ。
金峯山寺に属する神社として修験道の行場でしたが、
明治の神仏分離によって独立したそうです。



名前が示すように、
もとは、水を分けてくださる雨乞い(続日本紀)の神様が、
平安時代中期ごろから、
ミクマリが訛ってミコモリ(御小守)→ コモリとなり、
子守の神・子授けの神と、
呼ばれるようになったそうです。




桃山時代の豪奢の社殿は、
慶長10年(1605年)豊臣秀頼の再建。
父の豊臣秀吉が水分神社に祈願し秀頼を授かったと伝えられます。
秀頼は、身長約197cm体重161kgの並外れた巨漢で、
伝存する筆跡は高い評価を受けるほどに優秀な人…らしいです。wiki 

また、
国学の大家 本居宣長も、両親の子守明神への祈願により、
宣長が授けられたと伝えられます。
自身の誕生と深くかかわっていることも相まって、
本居宣長の吉野への想いは強く、
「自分の墓に山桜を植えよ」と遺言するほどに、
吉野の桜をとても愛していたそうな。


この才気溢れるお二人の誕生エピソードからしても、
実にご利益いっぱいの神社って感じですね。




前回4月12日に、
下調べもなく初めてお参りした時、
まるでミニチュアの箱庭に迷い込んだような…、
美しく囲まれた空間の不思議な安心感で、
とても心が落ち着きました。

そう広くない境内は、
本殿、拝殿、幣殿、楼門、回廊から構成され、
本殿と拝殿がピシッと向い合っています。

本殿は、
三殿を一棟に連ねた珍しい形式(みくまり造り)で重要文化財。
中央に天之水分神、左右に三体ずつ神像が安置されていて、
そのうちの一体木造玉依姫命坐像は国宝。
秘仏のため、絶対に拝することができないそうですが、
唯一撮影が許された写真家が入江泰吉さんだと、
そういえば、
昔どこかで読んだことがあります。




一週間前お参りした時には、
まだダイナミックな枝ぶりばかりが目立っていた枝垂れ桜が、
可憐な花を咲かせていました。





上品な小ぶりの花とは対照的な、
ごつごつした幹がしぶい貫禄を醸し出しています。
とても魅力的な枝垂れ桜でしたが、
残念ながらコンデジでは上手に撮れませんでした。



境内を出ると、
道挟んだ正面にも、
また美しい桜が…。






そして次は、水分神社からわずか数分の場所花矢倉展望台へ。



その途中に、
私たち大勢の観光客をノンビリ見守る吉野のワン。



一週間ぶりのこんにちは。
今日も元気そうだね。



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7進む(11:10 → 花矢倉展望台。)
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吉野 2012年 桜巡り【7】



711:10 → 花矢倉展望台。
点線


吉野水分神社から数分で、
花矢倉展望台に到着。



吉野山一番の見晴らし台で、
遠く金剛葛城の山並みから、上千本、中千本、金峯山寺の蔵王堂、
麓からの町並みも一望できます。





場所はそれほど広くないです。



お座敷エリアは有料で、たしか1時間500円くらい。

それと、
金峯山寺の蔵王堂を正面に望めるベストポジションは、
写真屋さんが、記念撮影のお商売しているので、
撮ることができません。
(多分、桜の季節だけでしょうけど。)

とはいえ自分のデジカメを渡せばその場所で、
無料でシャッター押して下さいます。
でも、その前に写真屋さんのポラロイドカメラインスタントカメラ(?)で、
もれなく撮影されてしまうわけですね。
その後、預けた手持ちのカメラでも撮ってもらってる数分の間に、
写真屋さんが撮影したほうのが立派な台紙にセットされ、
「1,000円で買えますよ、いかがですか〜?」って。(笑)
(大阪のUSJとかでよくやってる手法)
もちろん無理に買わなくてもOK。
(自分が写っていたら結構プレッシャーでしょうけど)

何割ぐらいの人が、
台紙付きの記念写真を買っているのかはわからないですが、
長蛇の列ができていました。
無理強いするわけじゃないですし、
愛想良くシャッター押してくれるので阿漕な感じもなく、
(被写体本人から購入されなかった写真は、破棄するしかないので資源の無駄使いだけど)
個人的には、
わずか小一時間前、
修験道の聖地で遭難!していた状態と比較して、
この世俗ぶりが妙に可笑しくて、
「ああ、私、観光地に来てるよ」って気分が高まりました。





花矢倉展望台入口の横手に、
「三郎鐘に登れます」と手書きの札があり、登ってみると、
囚われの身みたいに格子で囲まれた場所でひっそりと、
つり鐘が残されています。
侘しい風情が、何だかちょっとこわかったので撮りませんでした。(笑)
jp3pzdさんが、ブログで写真掲載されています。


「世尊寺跡・三郎鐘(重文)」の案内版によると、
廃仏の難に遭い廃寺となり、
本尊とつり鐘、そして石灯籠だけが残りました。。
本尊は蔵王堂に安置され、
石灯籠は水分神社の前に残されています。

つり鐘の俗称「三郎鐘」。
まるで、東大寺の大鐘「奈良太郎」と兄弟みたいですね。
きっと「二郎鐘」もどこかにあるに違いない。

桜は、まさに見頃。














この花矢倉展望台すぐ近くに、
矢倉の舞台が組まれている場所があり、
(そうとは気づかず、あっさり通り過ぎてしまいそうな粗末な印象ですけど)
謡曲 忠信と花矢倉」の案内板が立っています。



ここの素晴らしい眺望は、
防戦にも恰好の地形だったらしく、
義経逃避行の際、
弁慶とならんで義経を護るために片腕となってきた佐藤忠信が、
自ら義経の鎧を身につけ囮となり、
襲いかかる敵を射散らし一人奮戦した場所とのこと。

このとき忠信から
雨のように矢をあびせかけられたという僧兵 横川覚範の首塚跡も、
近くにあります。
(首が埋まっているんでしょうか?!)

こうして命ながらえた忠信は、
京に潜入し身を隠しました。

しかし、
翌年かつての恋人に手紙をしたためたことから、
居所がばれて襲撃され自殺して果てました。
年わずか28歳。
その忠信のかつての恋人は人妻で、その夫に居所を察知され襲撃されたらしいです。
(この時代の恋愛事情っていったい…?)







ことあとは、ずっと桜トンネル状態が続きます。

上千本の坂道は、まさに桜、桜、桜、
夢のように素晴らしい景色が広がっていました、





さまざまな種類の桜が、
次々現れます。






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8進む(12:00 → 五郎平園地。ここでお弁当タイム♪)
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6戻る(10:50 → 吉野水分神社。)
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吉野 2012年 桜巡り【8】



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812:00 → 五郎平園地。(ここでお弁当タイム♪)
























上千本から中千本へと、
ゆっくりなだらかな坂を歩いていきます。







なんといっても、
中千本満開の日でしたので、
下にいくにつれ、
だんだん人の多さも半端じゃなくなってくるのですが、







自分でも不思議なくらい、
人の多さが気にならなかったです。





これだけ見事な桜の世界に浸ると、
すべての人がもれなく圧巻の桜風景に感動しているという…、
ある意味、
気持ちは一つみたいな。(笑)







不思議なムードだなぁ〜って思いました。






でも、多分、
歩いていないことには、
この一体感みたいな感動には浸れない。







車の中で、
まったく前に進まずイライラしているのとでは、
明らかに違うモードですからねぇ。







やがて、
竹林院群芳園近くのヘアーピンカーブへとさしかかります。

凄い渋滞でした。













竹林院から、
中千本桜の中の平地へとずんずん進んでいくと、
大勢の人が、
おもいおもいの場所で、
お弁当を広げてくつろいでいました。

このあたりは(五郎平園地)は、
憩いの公園って趣。
眺めも良いのでお昼を頂くには絶好の場所です。



五郎平茶屋園地の案内版によりますと、
だれもがそう察するであろうとおり、
その昔このあたりで五郎さんがお茶屋を営んでいたらしいです。(笑)
この園地周辺の山腹から谷を越え如意輪寺へと広がっている桜の群落が中千本です。
そして中千本の中心部、尾根の先を削り恰好の花見の広場になっているのが五郎平茶屋です。
その昔、五郎兵衛という人が茶屋を開いていたのでその名が付いたと言われています。
この広場からは、東に如意輪寺の多宝塔や後醍醐天皇陵の森を望むことができます。




私もこのあたりで、
ちょっといっぷく、
お昼を頂きました。




吉野は、染井吉野と違って、
葉と花が同時の山桜がほとんど。
だから、
花が散っていなくとも葉桜に見えたりします。

とはいえ、
この日、中千本桜も、
満開から数日を過ぎて、
そろそろ散ってしまう時が迫っているようでした。






後醍醐天皇に関わりがあると思われる大きな石碑。
ちょうど谷を超えた正面に、
天皇陵を望むことができる場所です。
文字がたくさん刻まれていましたが、
何のためのものなのかはよくわかりませんでした。





気持ちの良いそよ風が吹くと、
いっせいに桜の花びらがふわふわと、
空に向かって舞いあがり、
同時にあちこちから一斉に、
「わぁ、キレイ」と歓声があがります。








かわいい豆柴ちゃんも、
気持ち良さそうにご機嫌の様子。






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9進む(12:40 → 中千本はじめ上と下、全部を見渡せる、お花見三昧エリア。)
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7戻る(11:10 → 花矢倉展望台。)
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吉野 2012年 桜巡り【9】



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912:40 → 中千本はじめ上と下、全部を見渡せる、お花見三昧エリア。


吉野山から、
中千本の谷のむこうの山に見えるのが如意輪寺です。



満開の中千本の桜に彩られた伽藍、
とりわけ一段高いところに多宝塔の姿は、
非常に優美で、
「こちらまでいらっしゃいな。」と私に語りかけてくるようで…。

しかし、向こうの山に見えるということは、
今いる吉野山から
谷越えした山の中腹にあるということです。

…とうことは、
この場所から、
下ってそして登らなければならない。

しかし、
私はもぅフラフラでした。





どうしようかな…、

でも、

せっかくだから、
如意輪寺からの絶景も見たいな。

来年の桜を、
私はどんな気持ちで見るのかな。

でも、

今年は、
こうして吉野まで来たのだから、
やっぱり行ってみようかな。

お昼のおにぎりを頬張りながら、
ぐだぐだ考えて、
結局、一息いれたあと、
再び歩きだしました。





ところで、
吉野の桜は、
いつから山を覆い尽くすほどになったのでしょう?






おおよそ1300年の昔、金峯山で、
修験道(しゅげんどう)の開祖、
役行者(えんのぎょうじゃ)という、
おでこに角が生えた呪術者が、
一千日の難行苦行の末に感得した蔵王権現(ざおうごんげん)の像を
かたわらにあった桜の木に、
刻みつけておまつりしたことから、
桜が御神木となり、
大切に守られるようになったそうです。




修験道とは、
山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、
悟りを得ることを目的にしているもので、
その修験道の実践者を山伏といいます。

数年前「山伏装束カッコいい!」ってミーハーな記事を投稿したときのイラスト (^_^;)
過去記事より再掲↓↓↓




蔵王信仰が盛んになるにつれ、
各地から参詣者が増え、
その人々の献木によって年々増殖。
その長い年月のうちに、
今日のような「桜なら吉野」と言われるほどの名所になったようです。

江戸時代には1万本を苗木を寄進した豪商もいたそうな。

また廃仏毀釈で、
吉野の桜も多くは伐採されるという危機がありましたが、
大金をはたいてそれを阻止した男気のある方もいらっしゃったようです。
日本の造林王と呼ばれた人物土倉庄三郎
(参考サイト 奈良新聞 奈良のおはなし




そして、1300年後の今も、
寄進と思われる植樹間もない桜の木が、
寄進の名札とともに、
可憐な花を咲かせていました。


すべては蔵王権現様への「お供え」、
その信仰心が、
山を覆い尽くすほどの見事な絶景を造り上げたのですね。





しかし、
現在、この約3万本の桜のうち約半分が、
菌類や虫などなんらかの病気にかかっていて、
このままではあと10年で全滅の恐れがあるという、
危機にひんしているとききます。




ただ
2004年吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、
世界遺産に登録されたことが、
吉野の桜保護対策に拍車がかかるきっかけになった面もあるようで、
現在関係者の方は、必死で尽力なさっているのだと思います。
吉野町HP 桜の現状と寄附




それにしても、
約1キロのアップダウンの道のりを右に左に、
テクテク歩く約20分は、
やはりしんどかったです。
止めを刺すように、
88段の見上げるような石段が
参詣者を迎えてくれます。
もう一段一段踏みしめることに精いっぱいで、
写真撮ってませんけど。


でも、
登りがきついということは、
それだけの絶景が期待できるということなんですよねぇ。



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10進む(12:50 → 如意輪寺(にょいりんじ) 宝物館見学のあとお抹茶で一休み。)
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